CHICAGO / 25 Or 6 To 4

Chicago 18

Chicago 18

80年代のシカゴといえば、悪名高いデヴィッド・フォスター(冤罪。実はピーター・セテラ)のプロデュースにより、一気にAOR化してバラード・バンドのイメージが定着した時期。アルバム「16」からは「素直になれなくて」、「17」からは「忘れ得ぬ君に」「君こそすべて」が大ヒット、初期の硬派な歌詞、迫力あるブラスサウンドのイメージは薄れてしまい、初期のファンからはクソミソに言われていました。

当然のことながら、ロバート・ラム、ジェイムス・パンコウといったオリジナルメンバーはこの状況に危機感を感じていました。「素直になれなくて」のイメージを薄れさせようと、「17」からの1stシングルは敢えてロックナンバーの「ステイ・ザ・ナイト」にしたり(でも中ヒット止まり)もしました。特にパンコウはブラス部隊のリーダーですから、シカゴ・サウンドからブラスを無くそうというピーター・セテラと対立し、彼を脱退に追いこんだ(またセテラもソロでやれる自信があったし、実際成功した)ことからも彼らの危機意識はあったようです。

で、続くアルバム「18」はなんとあの代表曲「長い夜」(松山千春ではない)をリメイク。この曲をセテラ抜きで、しかもフォスター・プロデュース、という時点で初期のファンは怒りを覚えたと思います。実際このリメイク・ヴァージョンはほとんどシカゴの歴史上なかったことにされています(数あるベスト盤でも入っていない)。

II

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しかし、私はこのリメイク版は大好きでした。迫力のあるブラスと野太いドラムサウンドに鋭いギターカッティング、厚いコーラスはまさに「80年代の長い夜」を体現したようなヴァージョンだと思いました。リアルタイム派ではない私としてはむしろオリジナルの音のしょぼさ、セテラの線の細さ(はっきりいって何でこの曲が代表曲なのかもよくわからない)が気になったものです。案の定というか当時は売れずに終わってしまい、結局2枚目のシングルとして切った「スティル・ラヴ・ミー」や「フェイスフル」のようなバラードの方が大ヒットしてしまうという皮肉なこととなりました。一方で昔のシカゴのイメージを取り戻そうとしつつも、しっかりとバラードで売上を稼ぐという中途半端さが本当の当時のシカゴの問題点であったのですが、ともあれ、この曲のかっこいいアレンジは音楽的な側面からもう一度きちんと再評価されるべきだと思います。

「素直になれなくて」いるのはむしろ旧来からのアタマの固いファンではないでしょうか。

というわけで先月のカバー特集に続き、今回はセルフカバー特集です。